[英傑に学ぶ!②]諸葛孔明のサプライチェーン・マネジメント

英傑に学ぶ!

こんにちは。
LOCAL LOGITEXの佐藤慶樹(けいき)です。

今回は[英傑に学ぶ!]シリーズの第二弾として、三国志の英雄である諸葛亮孔明を題材に進めたいと思います。

1.諸葛亮孔明とは

諸葛亮孔明は、中国後漢末期から三国時代に劉備や劉禅に仕え活躍した軍師です。数々の小説や漫画、映画などの題材になっているので、ご存じの方も多いと思います。

孔明に関連する「三顧の礼」、「泣いて馬謖を斬る」、「死せる孔明生ける仲達を走らす」などは、現代でもよく耳にする格言ですよね!

サプライチェーンを構成する重要な要素のひとつである”ロジスティクス(兵站)”。それを説明する際によく例に挙げられるワードとしてナポレオンや太平洋戦争に並び、孔明の名が挙げられています。

補給が計画どおりに進められないと判断した場合は行軍を取りやめるなど、ロジスティクスを非常に重要視していたと言われています。

2.三国時代のスタートアップ「蜀」

孔明が”策略の天才”と称されるのは劉備玄徳に三顧の礼で迎えられてからです。

劉備は、若き日に母と共に筵(むしろ)を織って生計を立てていましたが、黄巾の乱に乗じて関羽や張飛と義勇軍を結成し名を挙げていきます。

そこから曹操の「魏」、孫権の「呉」とならぶ「蜀」を建国する劉備は、現代に例えれば志高くスタートアップ企業を立ち上げた”起業家”といえるでしょう。

劉備を社長とした場合、関羽や張飛、趙雲といった局地戦に強い豪傑は、”とにかく売りまくる優秀な営業パーソン”と言えます。ただし、中華統一というゴールに対して競争戦略(差別化、ポジショニング)が明確でなかったため、起業後は公孫瓚、陶謙、呂布、曹操、袁紹、劉表という大企業のもとを流浪し、下請け業務を繰り返す日々を送ることになりました。

劉表に身を寄せた荊州の地で、劉備は”臥竜”こと孔明とついに出会います。北方謙三氏は自身の小説『三国志』で孔明にこう言わせています。

孔明「天下三分の計」
劉備「なんと」
孔明「私が見るかぎり、劉備軍には戦術があって、戦略がありません。それが、大きく飛躍することができなかった理由です」

孔明は、床に燃えさしで線を描いた。この国のかたち。
しばらく、二人でそれを見つめていた。

孔明「曹操がいます。これは、強大です。次は、揚州の孫権でしょう」
劉備「確かに」
孔明「殿は、速やかに荆州を奪り、かつまた、益州を併せるのです」
劉備「荆州を、たやすくは奪れぬ」
孔明「戦術として考えるからです。戦略とはまた別なもので、すべてそれに沿って動くようにするのです。一兵を動かすのも、勝つのも、負けるのも」
劉備「負けることさえ?」
孔明「さよう。いずれ荆州を奪り、益州も併せる。頭の中には、いつもそのことを思い描いておくのです。さすれば、おのずから負け方も違ってきます。荆州と益州。その二つを奪り、揚州と結ぶ。それで、曹操に対抗できます。それが、第一の段階。天下は、三分されております」
劉備「よくわかるが」
孔明「今後の戦は、すべてこの戦略に基づいて行います。負ける時も、この戦略から離れてはなりません。つまり、戦術はすべて、戦略に基づいて決めるのです。勝てる道があっても、戦略に沿わなければ、放棄します」 

引用:『三国志 六の巻 神車の星(時代小説文庫)』北方謙三著

戦略のなかった劉備軍に天才マーケターの孔明が現れ、”天下三分の計”というビジョンと戦略を打ち出したのです。

ここから領土を広げた劉備軍は221年に蜀漢を建国し、天下三分の計を実現します。

少し話は脱線しますが、現代最強のマーケターと呼ばれ、USJをV字回復させたことでも有名な森岡毅氏はNHK「プロフェッショナル」で”ナニワの軍師”と称されていましたね!

3.サプライチェーンが明暗を分けた「北伐」

劉備や関羽、張飛といった創業メンバーが他界したあと、孔明は劉備の遺志を継ぎ、魏を討つべく4回の北伐を決行しています。(5回と数える人もいます)

結論からいうと、孔明の北伐は失敗し、劉備と約束した中華統一(漢王朝の復興)という夢は叶いませんでした。蜀軍が撤退した理由を見ると非常に興味深いです。

第一次:乾坤一擲の大勝負。馬謖の判断ミスにより全軍撤退。
第二次:郝昭の守る陳倉城を二十余日攻め続けるも、兵糧不足により撤退。
第三次:李厳の「兵糧不足」という虚偽報告により撤退。
第四次:孔明の病没により撤退。

純粋な戦闘力の競争で敗れたというよりも、そのほとんどが供給網(サプライチェーン)が確保できなくなったことを理由に撤退しているのです。(第一次も馬謖が山頂に陣を敷いたことによって魏軍に水源などの補給路が断たれて孤立したことで惨敗)

一方の魏も守り続けただけでなく、三十万の大軍で蜀に攻め込んだこともありましたが(子午の役)、大雨による補給路の崩壊や兵糧が腐ったりして思うように進軍できず、目的地である漢中に到達することはできませんでした。(分散した魏軍は局地的に蜀軍に敗北)

当時の戦いでもサプライチェーンがどれほど戦局を左右したかがよくわかります。局地戦では当時の天下最強といわれた蜀軍とまともに戦闘せず、長期戦に持ち込んだ魏軍の作戦勝ちと言えるでしょう。

魏の名将・司馬懿は、孔明が兵站を確保しないまま無理な博打をしないことを理解していたと思います。北方氏は司馬懿の部下である尹貞(小説オリジナル人物)から”蜀軍との戦いはどうあるべきか?”という問いに対して、司馬懿にこう答えさせています。

司馬懿「周到に待つことだな、尹貞」
尹貞 「周到に、待つのですか。それが、私もよろしいと思います」

蜀は、必ず攻めこんでくる。それを待つ。着実に打ち払うためだけに、すべての力を注ぐ。やがて、蜀の国力は疲弊してくるはずだ。もし攻めるなら、その時に国をあげて攻めればいい。

引用:『三国志 十三の巻 極北の星(時代小説文庫)』北方謙三著

当時の国力は「魏7:呉2:蜀1」といわれています。圧倒的な国力をもつ魏は無理に急いで戦う必要はなく、蜀の疲弊を待つ作戦に徹したのでした。

4.木牛流馬

234年春。孔明は最後の力を振り絞り4回目の北伐を決行。五丈原で魏の司馬懿仲達と対峙します。

兵糧を現地調達(屯田で自給自足)するなど、これまでの失敗を教訓とした改善も見られました。最も興味深いのは孔明が創ったといわれる「木牛流馬」です。牛馬の形に似た武器や兵糧を運搬する機械(一輪車のようなもの)と伝えられていますが、はっきりとした資料は残っていないようです。

現代でもコンテナやドローンという輸送手段や輸送ツールが開発されていますが、当時の人々にとってそれと似たような感覚だったかもしれませんね!

引用:Wikipedia 

5.三国志のおススメ本!

劉備や孔明の活躍を「もっと知りたい!」という方に私がお薦めしているのは北方三国志と横山三国志です。ぜひご覧ください。

あと、日経新聞(夕刊)で連載していた宮城谷先生の「諸葛亮」も面白かったです!

6.最後に

現地調達(屯田)や輸送方法の改善(木牛流馬)の効果が表れ蜀軍は長期戦に耐え続けます。ただ、蜀の大黒柱であった孔明が病に侵されてしまいます。孔明にもう戦う力は残っていませんでした。

234年8月。
諸葛亮孔明、陣中に没する。享年54歳。

天下を見渡した大局観もさることながら、不利な状況でも大手と伍して戦う体制づくりや常に改善していく姿勢は、我々も見習いたいところですね!

以上、今回は諸葛孔明のサプライチェーンについて解説しましたが、いかがだったでしょうか。

サプライチェーンを構築するうえで少しでも課題をお持ちの方はぜひ、こちらのページからお気軽にお問い合わせください!

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